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代表プロフィール紹介

略歴

1983年 神奈川県横浜市の製造業の実家に生まれる。
2003年 アメリカに音楽留学。HIP HOP、R&B、BLUES、FUNKなどのブラックミュージックに没頭しプロミュージシャンを志す。
2005年 日本に帰国。楽曲提供や自身での音楽活動を続ける一方で、起業の準備を進める。
2006年 ファッション系インターネットメディア(CGMサイト)の運営を中心としたIT企業を設立。代表取締役に就任。
2007年 事業の不採算により、会社が債務超過に陥り中心事業であるインターネットメディア事業をM&Aで売却。同時に会社を一時清算する。
同時期、メジャーレーベルよりCDデビュー。
同年9月、ウェブ制作を中心としたダイヤモンドメディア株式会社を設立、代表取締役に就任。
2008年 ウェブサイトの制作、コンサルティングを中心に事業を拡大。自身もプレイヤーとしてデザイン制作からマーケティング、コンサルティングまで実務に従事する。
自社運営を行っていたフランチャイズ系マッチングポータルサイトをM&Aにて売却。
2009年 ウェブ制作事業を拡大し、SEO対策、リスティング広告コンサルティングなど、ウェブの企画制作からマーケティング支援、そしてコンサルティングまでをワンストップで提供する体制を構築。
自社運営を行っていた人材系情報サイトをM&Aにて売却。
同時に自社でもウェブサイトからリアル事業までを網羅したM&A仲介事業を開始。
2010年 ロングテールSEO対策向けのウェブシステムを開発し、不動産業界、人材・求人業界、EC業界に向けて提供を開始。
ロングテールのシステムソリューションベンダーとして業界を牽引している。

ご挨拶

始めまして。武井浩三と申します。
皆様のお時間を少し頂き、私がどのような経緯で会社を始めることになったのか、そしてどのような出来事が切っ掛けで「人間性経営」に辿り着いたのか、ご説明させて頂きたいと思います。最後までご精読頂けましたら幸いです。

音楽に情熱を燃やす

私がIT業界に関わることになったのは、本当に偶然でした。
私は小さな頃からミュージシャンになることが夢でした。それだけのために、青春のほとんど全てを捧げていました。そして両親の協力もあり、19歳の時にアメリカのロサンゼルスへ、音楽を学びに留学をさせてもらうことになりました。

アメリカでは音楽以外に、たくさんのことを学びました。ご存知のとおりアメリカは、多民族国家です。単一民族国家である日本とは大きく異なり、それぞれの人間の価値観や常識が大きく異なります。
そのために、彼らは意思疎通のコミュニケーションとして言葉を必要とします。日本に存在するような、暗黙の了解というものが通用しません。ただし、自分自身が自分の意思により、何かのアクションを起こした時には、日本よりもストレートに結果が返ってきます。だからこそ「アメリカンドリーム」という言葉が存在するのでしょう。
このような環境に身をおいて、初めて起業をするという生き方を意識し始めました。

挑戦

「日本に帰ったら、起業してみたい。自分に何が出来るのか、自分の力を試してみたい。」

そのような思いが強くなりました。

日本に帰ってどんなビジネスをしよう?
その時の選択肢は、
1. 洋服屋さん
2. ITベンチャー
3. タピオカドリンク屋さん
の3つでした。

これらのどのビジネスで起業をしてもおかしくないほど、本当にそれぞれ入念に準備をしました。

そして日本に帰国後、たまたまITにしようと思い、知識もスキルも人脈も、ましてや社会人経験もゼロのまま、お金と人を集めて、起業しました。

最初の会社は、高校時代の友人を誘い、「俺はこんなことがやりたいんだ!」と自分の思いを伝え、かなり無理やりな形で参画してもらいました。

当時私は22歳。友人の一人は大学を辞めて仲間に加わりました。もう一人の友人は勤めていた大手企業を辞めて仲間に加わりました。
創業資金を集めるために、自分だけでなく彼らにも借金をしてもらいました。

そして右も左も分からぬ未熟なまま、勢いだけでメディア事業を開始しました。

挫折

会社を始める前には、「2年で上場だ!」などと、たわ言をいうほど大きな気でいましたが、実際に蓋を開けてみると・・・

事業開始初月の売上は0円。その後も数ヶ月売上0円が続きました。

やっとのことで月商5万円。
しかも1回きり。

その間、会社の資金は目減りしてゆくばかり。

本当に眠れない夜が続きました。
全員、会社を存続させるために1ヶ月の給料は3万円まで減らしました。お昼ご飯は節約のために家から持ってきたオニギリ。

キャッシュフローの無い状態ほど、怖いことはありません。キャッシュフローが無い状態でのアクションは、全てがリスクの高い行動になってしまいます。ひたすらお金が減ってゆく日々。

現状から逃げてしまおうかと、何度も迷いました。
「キャッシュが少しでも残っている状態で、今の事業から撤退して、何か別のことをした方が良いんじゃないか?」「撤退することも戦略なのではないか?」
活路が有るわけでもないのに、ただ今の状況から逃げ出したくて、色々な言い訳を考えました。

父の教え

本当に人生で一番辛い時期でした。おそらく今後の長い人生でも、このような将来の不安や恐怖を感じることは無いでしょう。ストレスで体中に発疹が出たりもしました。元々細身の体も、さらに痩せました。

しかしそんな状況で、祖父の代から製造業を営む私の父から、人生で一番大きな教えを頂いたのです。

「会社を経営するということは、死んでも最後までやり切るということだ。会社を経営するということは、命よりも重たいんだ。」

この言葉は、今でも私の信念として私を支え続けています。

自分がやりたいと言って始めたことに、大切な友人を巻き込みました。彼らの人生にも責任を持たなければいけないということに、改めて気付かされました。そして私は、覚悟を決めました。

どのような結果になろうとも、最後の最後まで今の事業をやり通そうと。
たかだか数百万、数千万の借金で、人生は終わらないと。

収益の上がらない事業を、みんなで努力して育て続けました。
苦しい状況でありましたが、さらに半年間ほど続けました。

結果、会社の資金は底をつきました。つまり倒産です。
でも、最後の最後まで悪あがきを続けた結果、なんと、その事業を買い取ってくれる企業が現れたのです。収益性は無いが、育て続けた事業に将来性を見出してくれた企業が、事業を買い取ってくれたのです。

学び

「捨てる神あれば拾う神あり」とはよく言ったもので、私も友人たちも、きれいに全ての借金を返すことが出来たのです。もちろん、手元にお金はほとんど残りませんでしたが。

この1年間で、私が得た給料は合計50万円ほど。年収50万円です。でも私が学んだことの価値は、お金に換えられませんでした。本当に多くのことを学びました。いや、学ばせて頂いたのです。

私の両親がいたから、私の仲間がいたから、協力者がいたから。

一緒に起業をした私の友人たちは、「良い経験をさせてもらった。」と、口を揃えて言いました。私は、恥ずかしくて申し訳なくて情けなくて仕方がありませんでした。友人の人生を狂わせてしまったと、私は思いました。

自分のエゴで起業をして、友人を巻き込んで、借金をして、そして失敗をして。そしてようやく、「会社とは何のために存在するのか?」という本当に当たり前のことを考えるようになりました。

会社とは、仲間を幸せにして家族を幸せにしてお客様を幸せにするものである。そしてそのお返しに、お金を頂くのであると、本当に心の底からそう思っています。

人間性経営の発見

新たにダイヤモンドメディアを始めてから1年ほどして、その思いを実現する方法に出会いました。それが「人間性経営」だったのです。
「奇跡の経営」を実践するブラジルのセムコ社のことを、とある書籍で知りました。

・自分の給料を自分で決める
・働く時間も自分で決める
・会計情報は全部オープン
・全員が同じだけ決裁権を持っている
・上下関係が一切無い

ユニークというか斬新というか、今まで考えたことも無い考え方です。そしてその本を読み進めるうちに、私はひとつの確信を抱きました。人間を大切にすることを第一に考えればいいのだ。それが全てなんだと。

セムコ社の取り組みは、概要こそ書籍で紹介されていますが、もちろん、その導入方法を指南している書籍やウェブサイトはひとつもありません。猪突猛進いのしし年の私は、とにかくやってみようと思い、ダイヤモンドメディアの皆の了承を得て「人間性経営」に取り組み始めました。


ダイヤモンドメディアが「人間性経営」を導入してから、もうすぐ2年が経ちます。「人間性経営」が良かったのか悪かったのか、それは2年前と今を比べれば一目瞭然です。
我々は、常に道のりの途中ではありますが、日々成長し続けております。

この想いを少しでも多くの方々と共有したいと、心の底から願っております。

我々ダイヤモンドメディアを、どうぞよろしくお願い申し上げます。

ダイヤモンドメディア株式会社
代表取締役 武井浩三

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ダイヤモンドメディアの最も大きな他社との差別化は、会社の在り方そのものです。我々は、お客様の成功を通じて我々自身の成功を達成します。数多くのIT関連企業の中で、どの会社が自社に適しているのか、迷われている方は、是非ダイヤモンドメディアへご相談下さい。

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